2011年9月14日水曜日

本音を言えないメディア事情

論説委員という記者のTOP役職がある。
論説委員はリーダー格として官庁の審議会
の委員となる。外部頭脳として国の考え方を
伝達するために様々な業界のトップや学者
たちと肩を並べ、問題となる審議を国民に
伝える役割を背負う。

正義とは何だ!のような私見ではなく民意に
沿う情報提供として審議会委員となると国を
責める意見は言えなくなる。

当然のように優秀な部下の記事が政府に攻
撃的である場合 、自分から摩擦を起こすこと
はできなくなりこの記事はボツになる。

いわゆる骨抜き記事にしかならない。
だからこうするべきだ!には言及しなくなる。

横並びの紙面になる理由は政府が最初からメ
ディアをコントロールするこのシステムにある。
TVは新聞社の子会社。親の情報を増幅させ
ることしかできない。

アメリカはもっとシンプル。ジャーナリズムが個
人のブログのように機能する。リークが多いの
もタイトルのコピーライティングが上手いのも、
記事が評価される能力主義がわかりやすい。

だから新聞が信じられなければ読まない。
TVがつまらなければ見ない。CNNやNYタイム
ズで情報を知るしかない。

情報がコントロールされている以上、国民に足
らないのは思考すること。表面を知るだけで満
足せず、運営する政府や官庁の指針にモノ申
す頭脳が必要なのです。

会社員当時、会議で意見をいう場合は答えを
用意しろと言われました。いい悪いを投票する
だけでなく、解決策はあるのかないのかです。
なければ参加しなくてもいい。聞いているだけ
の傍聴人はいらないというわけです。

論理を駆使して反対意見に対抗し、自分の考
えに賛同してもらうことは用意周到な準備(知識)
が必要です。会議に参加することで自分も磨か
れると思います。磨いた石は輝くのです。

半径3M以内のコミュニケーションと言われる時
代です。国とか政治とかどうでもいいやってこと
です。何もしないで良くなったことはないでしょう。

自分の健康を考えるのと同様に、まず考える
習慣から始めるべきと考えます。自分が病気
で動けなくなる前に。